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2009年12月10日

上羽秀さん

上羽秀は1923年(大正12年)1月15日、高瀬川の三条大橋近くで浪速組という炭問屋を営んでいた角田元義、よしゑ

の長女として生まれた。浪速組は池田屋事件で知られる場所の真向かいにあたり、商才のあった祖父元三郎が一代で

築き上げた店であった。

秀という名は家長として家を取り仕切っていた祖父によって、先祖の佐々木巖秀にちなんで名付けられた。秀は家族

の寵愛を受けつつすくすくと成長し、幼少時より女優か舞妓になりたいと語っていたという。しかしある日、元義の

不在を狙い、元三郎がよしゑに襲いかかるという事件が発生する。元三郎が元義とよしゑに謝罪し事無きを得たかに

見えたが、この日を境に家族間に亀裂が入り、家長であった元三郎は恥をかかされた腹いせのようによしゑをいびる

様になり、元義は外遊びを頻繁に繰り返すようになる。やがて境遇に耐え切れなくなったよしゑは、秀と年子の妹の

掬子を連れ、角田家を離れて上羽家へと出戻った。しかしすぐに親子3人での生活は立ち行かなくなり、掬子は里子

へ出された。

秀は尋常小学校を卒業すると進学を拒否し、舞妓修行のため、単身遠縁のつてを辿り、東京新橋の花柳界へ上京した

。それまで芸者修行の経験がなかった秀は、新橋置屋藤間流の仕込っ子として育てられた。3年が経過し、15歳にな

る頃にようやく舞妓として売り出される運びとなったが、よしゑの強い意向により、京都へ連れ戻されてしまった。


銀座への進出
「おそめ」の改築にあたって、内装は伊藤の弟にあたる舞台美術家の伊藤熹朔が担当した。開店を知らせる挨拶状は

歌人の吉井勇が準備した。おそめはオープンから連日、文士や映画人、財界人や政治家など多数の客が押し寄せ、立

錐の余地も無いほどの盛況ぶりであった。

秀は土曜日に京都に帰り、火曜日に東京へ発つ生活を送るようになった。飛行機で伊丹と羽田を往復する秀は、雑誌

や新聞に取り上げられるようになり、「飛行機マダム」や「空飛ぶマダム」として世間に知られるようになった。

1957年(昭和32年)、川口松太郎の短篇小説『夜の蝶』が、『中央公論文藝特集』5月号に掲載され、話題を呼んだ

。小説の中で登場する「京都での酒場経営に成功し、銀座に店を開くことになったマダムおきく」は明らかに秀をモ

デルとしており、秀は一躍時の人となった。店は銀座8丁目へ移転され、さらに大きく改築がなされた。1960年(昭

和35年)には京都の店も御池通へ移転し、「おそめ会館」として新装開店がなされた。

順風満帆かと思われた最中の1961年(昭和36年)11月28日に事件が起こる。「偽洋酒を店で使っていたという疑いで

「おそめ」のバーテンダーが逮捕された」という見出しの記事が新聞に大きく取り上げられた。銀座の高級クラブの

代名詞として、また、『夜の蝶』のモデルとして知られた「おそめ」が引き起こした事件として世間は大きな衝撃を

受け、記者は連日銀座界隈へ取材に訪れていた。他店のマダムはここぞとばかりに秀を非難し、週刊誌はそれを面白

おかしく脚色して記事にした。

1978年(昭和53年)2月、「店内工事のため休業させていただきます」という張り紙がおそめのドアに張り出された

。一時は夜の街の代名詞として一世を風靡した店はこうして静かにその灯火を落とし、秀は店を止め家庭に入った。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
小説『夜の蝶』のモデルとなった方です。

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